『生きた親におつかえすると 同じ思いで神仕え』
『思い出すようじゃ惚れようが薄い、思い出さずに忘れずに』と言う言葉が有りますが、信仰の神髄はここにあるのではないでしょうか。常日頃神様にお願いしている親神様に対しては『思い出さずに忘れずに、四六時中、その御守護と御神恩を感謝する事で有り、この感謝の念による、奉仕の心と行いとが真実の信仰である』と言われております。
平凡だからお参りも忘れがち、困るから一心にお願いする。困る時は勿論一心になる事は大切ですが、困らないからお参りは愚かにも忘れたと言う様では、本当に信仰心が身に付いたとは言われないのであります。
『まいた種は皆生える』のであります。良い種であっても悪い種であっても芽が出て来るのであります。良い種とは、何事も無く明るい心で一家が円満に暮していける事、その事が良い種の芽が出ている時であると言えましょう。悪い種の現れとは因縁と言われる事で有り、神罰だろうとか言われる事であります。神様は罰、罪はお作りにならなかった筈であります。にも拘らず罰でなかろうかと言わねばならない程の苦しみにあうことがあります。
それは何処からこう言う事が起因しているんだろうかと言う事になるのですが、悪い種を蒔いたこの悪い種が芽生えて来たのです。この悪い種とは、憎む心、恨む心、腹立ちと言った相手の立場を考えない、自己本位の間違った心の積もり積もったものが悪い結果となって現れるのであります。
合 掌
初代管長 泉 波 秀 雄