『神の教を忘れてよその小道迷うな枝道に』
私達信仰者は『心と心』の繋がりにより結ばれています。神様が好きだ、誰々が好きだというのも心の働きから始まるのです。あの野郎、憎たらしいという言葉も相手の心の表現により、こちらがそう受け取るのです。
神様は『心だけは各人の自由に使わせる』と申されています。自由に使うことを許されている心を私達はどのように使用しているでしょう。神様の心に合うような心使いをしているでしょうか。どうかすると我が身勝手な考えから恩を忘れ、昔世話になったことを忘れ、自分の力で偉くなったと過信しているのが現代の世相であることを考える時、私達のしなければならないことが沢山あるような気がします。
心の改革、濁った心を私達信仰者の力で導き、社会を浄化していこうと努力することも信仰者の務めでなければならないと思います。立派な講演を聞き感激することは多々あります。それを日常生活に生かすか殺すかということは、私達一人一人の心の働きによるのです。そうしたことを常に忘れることなく、心から離さずに今日の一日を有意義に過ごす努力、訓練をすることも心がけねばならないことの一つでございます。
合 掌
初代管長 泉 波 秀 雄