『神のおかげは拝んでわかる 甘いからいは食べて知る』
信仰をしている人々は、教えの話を常に身に付けています。即ち教えを丁度懐中電灯として、道を照らしながら歩いているようなもので、その光によって「ここに石があった危ないぞ」「穴が開いているから注意しよう」と一つ一つ気をつけて歩きます。これを第三者から見るといかにもモタモタしているように見えるから、何か頼りないとか魅力がない歩み方の様に見えますが、考えてみるとこの方が実際は安全性があるのではないでしょうか。この歩き方こそ、私は信仰の姿であると信じます。
信仰と言いますと、お年寄りのする事であったり商売繁盛とか病気を治して頂くのが信心であり、そうした事を頼んだり祈る事が信仰だと言うように考えがちですが、決してこれは第一次的に大切な事ではなく、むしろ第二次的な事であって信仰を通してそれを懐中電灯の如く考え、人生を歩むこと、即ち信仰を通して日々を神様の御心にそった誠の生活をする事が、御守護を頂くもとになりそれによって家庭が明るくなり、商売も繁盛していくようになると思うのであります。こちらの心使い、生活態度によって御守護を頂くのです。
私達の日常生活、人生の旅路にとって信仰はなくてはならない必須の「要素と言われる由縁はここにあるのでありまして、信仰生活こそ明るい朗らかなものを生み出す土台であり、根本であります。
合 掌
初代管長 泉 波 秀 雄