『寝てもさめてもさめてもねても 神のおかげは忘られぬ』
生きていること、それは自分の力で生きているんだと、何事もなく元気で暮らしている間は思っている人が意外に多いようでございます。私も何事も神様のなされること、とは思いながらもとかくすると自己を過信することがあってハっとすることがあります。
神様を忘れている時は、ちょうど目を閉じている時と同じ状態ではないかと思います。苦しみが続き、悲しみに接するとつい愚痴も出るし、神も仏もあるものかと思いがちでありますが、自分一人の力というものは、ほんの少しであることが分かります。
目を開けて明るい世界を見つめている時と同じように、何事にも神仏のお力、ご加護で生きていることを信じ、喜びも悲しみも嬉しさも、すべて神様任せという気持ちで日々を暮らすべきであります。寒さの後には必ず暖かい日がやってきます。
芽の出る春がきて花が咲き、実りの秋もやって来ます。私達の人生はいつも悪いことばかりの連続ではないはずです。かと言っていつも良いことばかりが続くかと言うとそうでもありません。いわゆる信仰によって悪い芽が出かかった時、大難が小難に終わらせてもらえるような信仰が大切になってくるのです。信仰によって災難の芽が出かかっても、軽く済ませてもらえるのです。私達の日々の生活、即ち信仰と結びつけるだけの本当の信仰が大切です。
合 掌
初代管長 泉 波 秀 雄