『祈れ祈らば御助けなさる 神の心は親ごころ』
世の中には、まごころを沢山お持ちの方も有れば、又まごころを少ししか持っていない人とが居ります。最近は、偽物のまごころしか持っていない人が、かなり多い様であります。この人は、何と親切な方だろうと感謝し尊敬していると、その裏にちゃんと目的が有ったのかと、後で分かる場合が良くあります。
ところが、それが度重なって来ますと、あの人の親切には裏に何かがあるから、うっかり頂けないと、もう今度は最初から警戒する様になって来ます。もうここまで来ますと、その人の人格は一変に落ちてしまい、後でいくら本物の真心を尽して見ても、中々信用して貰えません。そう言う人は、物や金でないと人を動かす事が出来なくなってしまいます。
では本物の真心とはどんなものでしょう。一言にして言うならば、相手の知らない陰からの務めではないでしょうか。
真心と言うものは、相手に対して自分の真実を尽す事で有り、後でどうして欲しい、こうして欲しいと何一つ求めない事で有ります。礼を言って欲しいと思うだけでも、もう本当のものとは言えません。何処迄も自分を忘れて、只々相手の為だけを思う心あるのみと、言うのではなくてはなりません。義理や体裁でもなく、自分の真実を尽す事で有ります。こうした真心を受けた時、どんな人でもその心に、違った響きがあるものです。
合 掌
初代管長 泉 波 秀 雄